アウトライン

やっと当時の製作資料が出てきて製作年月が1976年〜1977年に掛けてと解りました。それによるとこだわったのはCRイコライザーを採用すること、もうひとつは薄型アンプとすることでした。

毎月購読していた初歩のラジオ、ラジオの製作などの雑誌で立て続けにCRイコライザーが紹介され、たった3球によるシンプルなものから6球使って全段SRPPで構成したものなど、ちょっとしたブームになっていました。

その中で出力側に5687を使い、電流を多く流しカソードフォロワーで低インピーダンス出力すると言う藤本伸一氏の記事に目を奪われ、コピーするとこにしました。
 

いつものようにそのままコピーではなく、カートリッジによって入力インピーダンスを変えられるスイッチを付けたり、既にパワーアンプを数台作っていましたので出力セレクターを追加するなど、自分なりに変更を加えて完成させました。

色々こだわりが影響して構想から完成まで半年以上掛かったと思います。


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SN比向上と強度アップのため3室フレーム構造でガッチリ作ったシャーシー。




当時まだ金メッキ端子は出始めで高かったためPHONO入力部分のみ採用。

  使用パーツ

シャーシー・・・何と言っても初めて自分で図面を描き、三栄無線に特注したシャーシー。中学の技術家庭で図面の書き方を習ったので何とかなるだろうと・・・ホントに何とかなりました。

プリアンプは扱う電気信号が小さいため、わずかなリケージフラックスでもSN比が悪くなってハムやノイズが耳に付くと言うことで3室構造にし、徹底的にシャーシー構造に凝りました。

よくも学生の分際でこんな凝ったシャーシーを特注したもんだ。

ECC81・・・確か東京ラジオデパートの3階、国際ラジオだったかな? でシーメンスのイエローパッケージを買った憶えがあります。一番高かったのはテレフンケンで、まだ松下や東芝の日本製は安かったと思います。しかしプリアンプと言うことでSN比をかなり気にして定評のある西ドイツ製を、なるべく安くと言うことでシーメンスになりました。今では高いですが・・・。

5687WA・・・最初タングソルの5687を買ったのですが、これが大失敗。フリッカーノイズに悩まされ、RCAに買い直しました。

後から解ったことですが、タングソルだから悪いと言うことではなく、たまたま不良品をつかまされたためでした。中古でゲッタが小さく、エミ減だったようです。

クソっ、ガキだと思ってジャンク屋のオヤジ、ダマしたな? ってことでしたが、これをキッカケに球を見る目がつきました。今となっては良い勉強になったと言う想い出です。

電源トランス・・・タンゴのM-60と言う70mA取り出せるものです。通常プリアンプはST-30Sと言う定番品がありましたが、大電流の5687を使っているため、M-60クラスのものが必要でした。ヒーター電力がこれでは足りず、別にヒータートランスも追加しました。

チョークコイル・・・同じくタンゴの10H100です。これも同じ理由で、通常プリアンプは電流が少ないためチョークを使わないケースが多いのですが、このアンプでは電流容量が多いのでチョークを使ってリップルを低減しました。

CR類・・・当時フィルムコンはまだ高く、一般的にパワーアンプなどではオイルコンを使っていましたが、微少電流を扱うプリアンプと言う理由でフィルムコンを使いました。

抵抗もRIAA偏差を小さくするため5%と誤差の小さい(当時としては優秀な数値です)金属被膜抵抗を使い、CR類もパワーアンプと比べるとかなり気を使って高いモノを買ったと思います。

ボリューム類・・・アルプス電気から出たばっかりの話題となったデテントボリュームを使いました。クリックがあるボリュームは斬新で精度も良く、高くても大人気だったと思います。

このころ、バランスボリュームはセンタークリック部分では左右とも減衰ゼロのMN型が開発され、これを使うと言うのがトレンドになりました。

その他・・・複雑な回路でも一定の性能が得られると言うことでプリント基板を買いました。これも三栄無線です。当時ガラスエポキシの基板はまだ出たばかりで高かったと思います。



→ 回路図が無いので結果